プロジェクト

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日蘭湿地生態系ポテンシャル評価

期間:2013年9月~2016年3月
資金:学振特定国派遣、高橋財団助成
tiengemeten

アジア都市郊外では都市農村土地利用の混在が特徴的である。良好な都市農村混在景観の誘導策を検討する上で、土地利用変化とその要因の理解が不可欠であるものの、必要十分ではない。モンスーンアジアの農地開拓においては、灌漑システムの整備が決定的な役割を果たしており、水利技術の発達史もふまえた土地利用解析が求められる。すなわち、小規模地形改変と重力灌漑による初期農村インフラ整備から、重機を用いた土木工事と動力揚水灌漑による大規模圃場整備、さらには多様な農地の都市的土地利用への転用に至るまで、土木技術と土地利用とを一体的にとらえ、時空間軸に位置づけていく必要がある。

ところで、モンスーンアジアの灌漑土木技術史において、とりわけ重要な役割を担ったのが、オランダ人土木技術者である。日本の明治政府に招聘されたヨハネス・デレーケ、タイの王立灌漑局初代局長のホーマン・バン・デ・ハイデなど、西洋文明導入期のアジア諸国で彼らは活躍した。彼らの土木技術は、世界の土木史上特に際立った特徴を持つ、オランダの国土開拓史により醸成されたものといえる。すなわち、灌漑・交通水路の掘削と、掘削残土を用いた人工堤防の造成を1セットとした凹凸地形改変による低湿地開拓、さらには浅海の干拓事業による新たな国土・牧草地の創出という、水利の完全コントロールによる土地開発技術である。オランダ人土木技術者により、アジア各国では、水利計算に基づいて敷設された人工水路、高水位制御を主目的とした河川堤防の設置と河道直線化が進められ、現代まで続く治水体系が形作られた。

しかしながら、オランダ人技術者により、アジアの灌漑土木技術史が完全に分断されるわけではない。例えばタイ王国のチャオプラヤデルタでは、上述のハイデが設計した直線的な幹線水路が主要な用排水の機能を担っているが、二次・三次水路では伝統的な浮稲農法である潮汐灌漑技術が未だに使われている。オランダ人技術者によりもたらされた工学的な灌漑区と、地元起源の自然順応型の灌漑区とが、隣り合わせにパッチ状に分布している。そしてこうした灌漑パターンが、農地利用、ひいては都市化後の都市農村混在土地利用のパターンにまで影響を及ぼしている。さらには、洪水許容量の変化にも影響を及ぼしており、海面上昇リスクに直面しているモンスーンアジアの低湿地において、人命・資産に直結する空間因子となっている。

申請者は、こうした空間パターンを引き起こした要因の一つとして、湛水を許容しない牧草地が優占するオランダで培われた灌漑土木技術を、湛水を許容する水田が優占するモンスーンアジアの低湿地に直接導入したためだと考えている。オランダ人土木技術者が果たしたアジアの近代治水整備における役割の重要性は疑うべくもないが、彼らが当初想定しなかった近代土木技術の現地化、従来の自然順応型の稲作灌漑との融合が生じてきたのだと推測される。水利技術の発達史もふまえた土地利用解析を、オランダの研究者も含め、モンスーンアジア都市郊外の比較研究として遂行することで、アジアにおける土地利用混在現象の要因が解明される。さらには、温暖化により国土喪失の危機にあるオランダに対しても、水を許容してきたアジア型の土木技術-土地利用関係史を情報提供することで、新たな国土計画の立案における一助となることが期待される。